曽根の松
 手植えの松は、寛政10(1798)年頃枯死したが、幹が保存されている。
また、宝永3(1706)年に庄屋河野天祐を中心として10分の1の模型が作られ、現在も往時の姿を偲ぶことが出来る。
 小林一茶は寛政7(1795)年3月に、「散り松葉 昔ながらの 掃除番」という句を詠んでいる。この時、すでに片枝が枯れていたようである。
 二代目曽根の松は、大正13年に天然記念物の指定を受けた。