布団屋根の変遷

曽根の“やっさ”の昔の写真を見ると

布団屋根の反りが明らかに今より

浅いです。

もともとは、他所でも見られるような

平らな布団屋根だったものが

徐々に反りがきつくなってきたのだと

思われます。

 

また、金綱の結びも

昔は曽根の中でも、『男結び』と

『女結び』に分かれていました。

 

反り屋根が特徴的な

曽根天満宮の祭りの“やっさ”は

どのような経緯で

現在のようになってきたのでしょうか。

 

布団屋根屋台の分布や変遷の歴史を

いっしょに勉強しましょう。

昭和の写真展より

戦前の兵庫県の民族学者、太田睦郎氏の分類によると

播磨地方の屋台は「浜手系」と「山峡系」に分類される。

 

「浜手系」は、主に海岸地帯の神社で運用される神輿形の屋台で、屋根の隅に金銀色の大綱を付ける場合が多い。

 

「山峡系」は、海岸部から遠い内陸の山峡に多い屋根に布によって作られた布団数枚を重ねたもので、屋根の隅に装飾した提灯を付ける場合が多い。

 

 

また、兵庫県の民俗芸能の研究に大きな足跡を残した喜多慶治氏は、太田氏の分類に基づく形で「灘系」「山手系」「淡路系」に分類しました。

 

「灘系」は、神輿同様宝形造の屋根に四隅にはね上がった垂木から高欄の地覆は太い力綱を張るのが特徴(姫路市白浜町松原八幡神社・姫路市大塩町天満神社など)

 

「山手系」は、寄せ棟の屋根に三枚の布団を積み重ね、大綱を十文字にかけて天辺で大きく結び上げ、ハネ上がった四隅の垂木に提灯を吊るのが特徴(高砂市曽根天満宮・加西市北条町住吉神社など)

 

「淡路系」は、五枚または七枚の布団を平らに積み重ねて屋根とする。布団は赤色のものが多く上重ねのものほど少しづつ大きく、四筋の太綱を井桁に締めて貫頭に結え、四隅に提灯を吊るのが特徴(淡路市多賀伊弉諾神宮・南あわじ市阿万亀岡八幡神社など)

 

 

 

現在の屋台の分布を見てみますと、

『平屋根布団屋台』が主に見られるのは、淡路島・明石市・神戸市西北部・加古郡・三木市・小野市・東条町・吉川町・三田市

『反り屋根布団屋台』が主に見られるのは、高砂市・加西市・滝野町・社町・西脇市・黒田庄町・中町・八千代町・加美町・市川町・大河内町・朝来町

『神輿屋根屋台』が主に見られるのが、姫路市・赤穂市・上郡町・佐用町・千種町・一宮町

 

以上の分布より考えられるのは、東播磨の平屋根は淡路の影響が大きいようで、布団屋根が一般的であった播磨一帯に、姫路を中心に神輿型が現れそれが周辺に広がり、平屋根も神輿型の影響を受けて布団屋根の四隅を反らせ真中を高く盛上げた屋根にし、装飾も一層華やかに飾るようになってきたものと思われます。

 

 

現在の曽根天満宮の“やっさ”のような『反上げ布団屋台』は

屋台研究家の粕谷宗関氏の説によると、明治13年に姫路市別所町の大西嘉七郎氏によって考案され、造られたとされます。粕谷氏は曽根北之町の“やっさ”も大西嘉七郎氏が手掛けたとしています。

 

 

海岸部に『神輿屋台』が定着したのは、地域の気風による影響も大きかったと考えられます。

灘のケンカ祭りでも知られるように、概して浜手は気性が激しく、闘争に有利になるようより頑強なように変化して行ったのではないでしょうか。

 

以下の文献を参照させて頂きました
太田睦郎「播磨の秋祭りと屋台」・喜多慶治「兵庫県民俗芸能誌」・粕谷宗関「播州屋台記播州飾磨彫刻史」
成願寺整「ザ・祭り 太鼓屋台のふるさとを行く」・「播磨の祭礼」兵庫県教育委員会